坂本龍馬 武市半平太
武市半平太は本名武市瑞山(ずいさん)と言い、土佐勤労党のトップでした。
龍馬とは遠縁に当たります。
もともと優れた剣士でしたが、ペリー率いる黒船の来航によって国が乱れ始めたことにより、尊王攘夷を目
指し、挙藩勤王へと考えが傾き、土佐勤労党を結成しました。
そして、考えの違う吉田東洋を暗殺しました。
そしてこの中に当初坂本龍馬が入っていたといわれています。
その他にも中岡慎太郎や、平井収二郎なども名を連ねていました。その後、お互い違う道に向かっている
と気づいた龍馬は脱藩してしまうのですが。
そして、自らの考えと違う吉田東洋を暗殺してしまうのです。
東洋を暗殺すれば尊王攘夷をできると考えたのでしょうね。
山内家とつながっていた武市半平太はその後の動乱を乗り越えて、土佐藩での主導権を握っていくので
す。
その後も岡田以蔵に命じて尊王攘夷を邪魔する人々の暗殺を繰り返していました。
山内容堂にも何度か拝謁しており、今の自らの行動が正しいのだと錯覚することになったのでしょうか。
しかし、時代は流れて行き、力を持ちすぎた土佐勤労党が山内容堂は目障りになってきます。
そして、東洋を殺害した実行犯らが切腹させられ、半平太も投獄されるに至ります。
上士であった半平太は拷問こそは免れますが、ひどい仕打ちは受けていたようです。
そして、勤労党は追い込まれ、切腹するに至ります。時流を読めなかった半平太はその想いを果たせぬま
ま、この世を去ったのです。
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坂本 龍馬 さかもと りょうま 天保6年11月15日 ~ 慶応3年11月15日 幕末の日本の政治家・実業家です。 土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた 亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大 政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動 しました。 |
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